記憶の断片

ymichis2008-10-29

5歳のときに東京に行ったことは、その瞬間、一場面、という感じで記憶に残っている。非日常が強烈だったのだろう。従妹が生まれるということで、祖母と1ヶ月位いたらしい。昭和26年、古い話だ。


その中で、坂の上から手を振って見送っている男性の場面がある。田園調布の教会に行ったらしいが、そこだけ記憶にある。で、手を振って見送ってくださっているのは、10月17日、「いのちの授業」についての講演をされた97歳日野原重明氏(聖路加病院名誉院長)の父君日野原善輔氏。10月19日の朝日新聞に、「おやじの背中」で日野原重明氏が書かれていた。
日野原善輔氏は、戦前、母を筆頭に三姉妹が通っていたころの広島女学院の校長だ。だから、その方のことはよく聞いていた。祖母はとても親しくしてもらい(母や叔母曰く「仲良しじゃったよ」)、和裁の仕事も探してくださって、それで、祖父が早く戦死したあと、生活したのだとか。
さらに、祖母の兄が寺の住職で、女学院で講演するということにもなったとか。仏教とキリスト教のコラボ?明治の人は大らかだったことがうかがわれる。
新聞には、日野原善輔氏は明治10年生まれとあったが、私の記憶の一場面は、74歳だったのか。祖母(明治33年生)とは、戦後初めての再会だったのかもしれない。


そんな話が通じ合う最後の血縁であった叔母が、先日いなくなった。
廻りの人も含め人に歴史あり、なんだ。

記憶の断片が、新聞を読んでつながり、日野原重明氏の「いのち」=「時間」と重なる。

写真は日野原善輔氏(1936年母の卒業アルバムから)