廿日市の祭り〜広島の文化だった?

秋の祭り。50年前は、とっても面白かった。その頃は祭りの日が決まっていて、ウイークデイであろうが行われた。そのため、学校が休みなのでこれもまた、うれしいこと。祭りは2日、休みは1日半はある。とっても得した感じ。


神社は石段120段の山の上にあり、御神輿はそこに収めてあった。最後の祭りの行列が見ものだった。神主さん4、5人をなかほどに、最初は奴という人が、長〜い槍のようなもので先にふさふさの毛のようなものを2本、4人で投げ合って先頭が動く。ヒュ〜イという声が面白い。
行列は町の端から端の神社を往来する。行列が終わると、御神輿は山上の神社に昇るのだが、そのときがまたおもしろい。練り上げて、石段をなかなか登らず大変なのだ。かつぐ人は酔っ払っている。昔明治生まれの大叔母から聞くと、その昔はもっと大変だったとか。荒く、喧嘩っぽく。


お祭りのご馳走も楽しみの一つ。角の押し寿司。あなごや海老の自家製でんぷ、まつたけなどが上に乗る。


さらに、一番面白く楽しみなのは、天狗だ。天狗は神社から神社へのお使いで、前の日から出ている。その往来に子ども達が参加する。天狗を中心に前後2,30人の子ども達が、天狗をからかいながら、西国街道を往来するのだ。「天狗の鼻の赤にんじん!!!」と言うと怒って、直径15センチ、長さ1メートル50以上はある大きな丸太を投げるので、それにあたると大変。さっと逃げる。先頭に行くとあたったときにこわいので、後ろでウロチョロしていた。あのスリルの醍醐味は今でも覚えていて、その頃以外に、こんなに面白いことはなかった、と言っていいくらいだ。鼻、鼻といってたが、鼻は足の速い人にもう例年決まっている。往来途中で、お酒を一杯、ここでも一杯、というので、完全に酔っ払い。顔が自分の方に向いただけで、怖い存在だ。現在、80歳の叔母も今でも怖いと言う。
怖さとスリルが満点。今では、酔っ払いがそんなことするなんて、危ない危ないと、とんでもない話だろう。でも誰も怪我をする子はいなかった。


 写真は大正の終わり頃。母と祖母と叔母が映っている。姉である母がお稚児さんのかっこうをしているのがうらやましくて、むくれていたと叔母は言っていた。