宮島と鞆の浦は広島の文化

宮島と鞆の浦。それぞれに、私にはなじみ深い。宮島は小さい頃から数えられないほど行っている。小学校以前には風雅な祖母の仲間と、小学生の頃は写生大会とか。中学、高校は学校の創立記念日がなぜか宮島で。「♪うれし、うれし今日の記念日♪」と皆で歌って、クラスで自由行動。勉強のないうれしい日♪。年月が経っても他県の友達が来れば、まずは宮島へ。
鎌倉とか倉敷に比べて、町の中はあまり変わらない。島だからなのだろうか。それはよかった。


鞆の浦は、10年前から毎週1回行っていて、そこのおばあさん達から鞆の浦がどんなところか、いっぱい聞いた。鞆では、おばあさん達は、お嫁に来て60年以上経っても、鞆生まれからは「あの人は旅の人じゃけえ」となる。閉鎖的とも言えるけど、おばあさん達から聞く話では、そこが面白い。万葉集にも詠まれた風景の歴史ある地元意識のプライドを感じる。魚がとてもおいしい。好きな人がたくさんいる。そんな鞆の町にとても愛着を感じている。


その宮島と鞆の浦、愛着のある地域がなぜか壊れるのではないか、と不安になる。
宮島は自然環境で。鞆の浦は架橋で。

どちらも残したい風景、アートな風景だ。私達の財産でもある。
大丈夫かなあ?
団塊世代は「あとせいぜい20年だからね」と言っているけど。