広島の文化一つ消えそう?

私のふるさとは旧廿日市町(S32年・面積45.74k㎡)。


幼馴染みが何年ぶりかに育った町に帰ってきた。1泊だったが、町中を少し歩いた。昔の街道筋は今や見る影もない。それはなぜか。街道筋を横断する広い道路が出きているためだ。角から2軒めという横小路がなくなったので、友達の家が分からない。幼いときの見慣れた風景の中の友達の家。記憶は有効でなくなった。
私が時々行っても広い道路でここはどこ?と、戸惑う。


広い道路は行政の計画では立ち退きを進めながらかなりの延伸計画で何十年もかかる。そんな街道筋を分断する道路が歩いて10分もかからない間隔で2本もできている。たった20メートルずつ。街道は大きく分断されて、中途半端な町の分布図。さっさと全部変えて、違う町並みにしたら、と言いたくなる。車社会はどうなるのかな?という時代に、道路計画は遂行される。住民の便利性とは言うけれど、高齢化、人口減などの空洞化になりつつある中で果たして必要なのかは疑問だ。


廿日市は津和野藩の海路の拠点で、大阪経由で江戸の物資が町を賑わしていたと想像できる。参勤交代の街道は、江戸からのさまざまな文化人が往来していただろう。今やその面影は皆無。それに面積45.74k㎡の旧廿日市には今も現存しているが、お寺がざっと思い出しても8つはある。歴史的品格のある町だった。宮島との関連も深い。単なる郷愁だけでなく可部や草津とともに、面影は残っていて欲しい町だった。


なげかわしくなった廿日市がかわいそうになって、私の文化魂はさまよっている。そんなふうにふるさとというか、昔の風景(そこには文化魂がある)がなくなっていき、何かを見失いそうになるのは私だけだろうか。