「団塊世代」の気付け

ymichis2007-02-28

初老期うつ病は本当に病気なのだろうか。人生80年の時代だが、確実なる「老い」の予感は60歳を2,3年過ぎた頃からのようだ。60歳は還暦で、人生の再スタートの祝いもしてもらい、これからだ、とまだ気力満々。しかし、老いは多様に訪れ、2年目位からその気力はだんだんと衰え、3年目位になると、ますます怪しくなり、うつ病に(干支が変わると寂しくなった実感あり)。何もする気が起こらない、食欲がない、どこか悪いのでは、と病院に行くと「うつ病」と診断され、病人になる。そこで、うつ病の薬を処方される。最近周りに自称?「うつ病」で、その種類の薬を飲用する人が増えた。


本当にその薬は効いているのか。
薬によって無表情、集中力と好奇心激減、認知症予備軍?になっているような気がする。
薬よりもいい気付けはないのか。


仏教の祖師ブッダは、人間の「苦」についての教えを説く。「苦」とは生老病死の四苦。昔は長生きしなかったし、社会に長老としての位置づけがあったので、「老」を苦とするのは、今ほど万人の問題ではなかったかもしれない。でも、「老」は「苦」だったのだ。老いは、多様な方面からやってくるし、自分の限界を信じられないと思うこともしばしばだ。それは若さとの闘いである。たとえば、昔美人だった人ほど、苦が多いはず。その美しさへの挑戦はすさまじいのでは?


人生の脳の機能の総決算が出てくる還暦を、若さよりも「老い」に価値を見出すスタートとし、挑戦よりも受容に変換、切り替えの年にする方がいいのでは。友達はいろいろ挑戦して疲れたようだ。挑戦は疲れるので、受けて立つだ。
もの忘れが多くなっても、それはそれでいいこともある。そんなことは気にせず、穴あきでいい。そう言えば最近の学力低下で、本を読まなくなった若者が多くなり、読んでいてもわからないことはすっ飛ばしているので、本当のことはわかっていないらしい。けど平気な顔している。
こうなると老いも若きも似たようなものだ。気力、精神力でも、これからの世の中「老」「若」で競うようになるのでは。


明治、大正生まれの方に気骨を感じる。たくましい気骨があるのはなぜだろう。
♪戦争を知らずに、僕らは育った♪ から?宗教的な環境因子がもっと濃かったから? 人の存在自体がこの広い宇宙のたった一つの点でしかないこと、それを次につなげること、そんなことしかないように思ったときに、少しだけ気力が出る。それは和文化に触れるほどに、感じることだ。