よくわからない神と仏

ymichis2007-01-07

神仏習合から神仏分離には、よく言われる日本人の宗教観の曖昧さ、新興宗教に入会しても年末にクリスマス、墓参り、初詣、の由縁があるようだ。地域の氏神さまと仏教がうまく習合した時代は、今ほどさまよえる日本人も少なかったのでは?明治初期の神仏分離は、それ以前の庶民の行事を廃止し、イデオロギーの影もあり、総理大臣の靖国参拝が問題になるのは、このあたりにも関連するようだ。ということが、ネット検索でわかった。そうなんだ。


最近経験したことだが、新興宗教の信者が多いのは仏教よりもわかりやすいからというのがよくわかった。同じ写経のようなことをするにしても、言葉でわかりやすいところに人は流れていく。でも、言葉でわかりやすくすると、何か寒くなる、のは個人の違い?


アートに接するときの個人の感覚に通じるかもしれない。よくわからない現代アート。でもそれをわかりたい、と思うとますますわからない。わからなくても好きか嫌いでいい。わからなくても、魅力あるものは洗練されていて、感じるものがある。わかるわからないが最初に来てしまうともうダメ。でも誰もが賢くなった今はそれがまず一番。わからないところに崇高なものがあり、面白見がある気がするけど。これもまた個人の自由。

というわけで、わからない仏教のお経を唱えることは、人間の身体のしくみも視野にあり、総合的に、お釈迦様から伝わった昔の知恵らしい。

あと一つ、最近神社に墓所を持つところが出てきたらしい。そして、もともと墓はない寺(檀家をもたない山上の信者寺)にも墓所ができていた。昔の人は神社のあるところ、山上の寺などは聖地であり、「気」のいい場所として大事にしていた。そこにそんな異変が起きている。癒しを求める一方で、聖地はどんどんなくなっていくのでは。
お金によって昔の知恵は少しづつ、変化していくのだろうか。早くみんなが貧乏になればいいのにと、貧乏人はとんでもないことを考えてしまう。