秘めごと

我々世代が和文化的なものをどんどん捨ててきたのは時代のせいでもある。
最近は生理用ナプキンも捨てないで洗う、使い捨てではない商品があるそうだ。こんな話は明治、大正生まれの人たちには、秘めごとだった。そこに私達の世代は新しいもの、便利性、消費に進む。身体の持つ本来の機能、身体にやさしいもの、ということは伝わらない時代。


秘めごとの中に恥じらいがあり、恥じらいの中に秘めごとがある。
私達の世代が今の若者の服装を見て、もっと秘められないのか、恥じらいはないのかと露出度の高さを批判する。思い起こせばミニスカートをはき始めたのも私達。私も短さに思いっきり挑戦していた。人がどう見るかはあまり考えず。そういうことでは、流行に走る若者の気持も理解できる。


生理用ナプキンもなく、秘めごとだった祖母や母の時代にはどうしていたのだろう、などと思うと、最近ではそのことがネットや本で誰でもわかるようになっている。
今は何でも露出する時代かもしれない。露出というよりも秘めごとにはできなくなった。いろいろ知ってまた新たなものが生まれる、若い世代にそういうことが期待できる時代なのだ。でもすべてがわかるわけではない。


よくわからないこと、人、物の中に魅力があるものだ。
リリー・フランキーさんもすべてがわかったようでわからないことはたくさんある、ことを「おでんくん」で伝えたいと言っていた。
秘めごとと言うよりはわからないことと言った方がいいのか。
でも秘めごとは言葉としても魅力がある。

使い捨て、消費、露出の第1歩を実践してきた私達としては今何をしたらいいのだろうか。


若いブログ友達のブログ(http://d.hatena.ne.jp/kxx/?of=6)
からこんなことを思ってしまった。