目に見えないもの

以前に新聞社の若い記者から連絡があり、会って話をした。その時には彼女の欲しい取材のものはなかったが、「発見隊」のことを書いて欲しいと思い、公民館で小学生と「風呂敷」のことをするからと告げた。


彼女は「社会性がないとねえ」と言う。「社会性とは?」「その後に風呂敷を売る店で子どもがお客さんに使い方をしてみせるということとか」
なるほど、社会性のことはこれからも頭に入れて置かなければとその時思った。記者は消費につながることであれば、まずは社会性がある、と考える。もしもそのようなことが可能であるならば(場合によっては可能性がないわけでもない)、読者はそこに書かれていることの裏事情を何も知らず、記事を見る。
「発見隊」をすることの評価は、数値化できるわけでもなく、視覚に訴えるのは難しい。


アメリカの企業はこれまで数値化できる資産しか企業活動を評価しなかったが、最近「老舗」「ブランドイメージ」という目に見えないものが企業を支えていることに気づき、それを数値化して帳簿に載せようとしているらしい。
どうやって数値化するのだろう。


日本もそんな風になるのだろうか。


人と人との空間にある目に見えないもの、見えるようになりたい。