竹久夢二から
広島県熊野町の筆の里工房で竹久夢二展があり、無料の講演会に行く。
そこからどんどんと過去を空想する世界に入る。
よく見たことのある竹久夢二の女性の絵。その絵は大正7年・1918年に描かれたとのこと。
1918年は母が生まれた年。祖母は1900年生まれで18歳。
祖母は大正ロマンを生きた。
竹久夢二の故郷岡山で過ごしていた。
祖母は母を産んだ後に、離婚して東京の学校に行ったらしい。
その学校の名は日本女子大とも言われているが、定かではない。
というところに友達のブログに大妻女子大の創始者の大妻コタカさんの生家が世羅町の民家レストランになっていて良かったと書いてある。「ごもくめし」
往復6時間運転して行ってみる。
大妻コタカさんが大妻女子大前身の学校開設年が1919年。
多分、祖母はこの学校に行ったのではないかと推測できる。
それは、世羅町が島根県にも通じるところで、祖母の時代は何かと島根、岡山、鳥取、広島などの人達と交流があったらしいのだ。
大正ロマンの真っ只中にいた祖母はおしゃれだ。
大正ロマンと言ったのは夏目漱石とのこと。
それで、大正ロマンに通じる何かやりたい、と考えている。
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